【道場訓】
●一源三流:源は、誠の心を意味します。この誠の心から3つの流れが生じます。
一つ、国の為(ため)に血を流す。
二つ、家の為に汗を流す。
三つ、友の為に涙を流す。
●誓いの言葉
一、わたくしたちは、学問と剣の道に精進します。
一、わたくしたちは、神仏を敬い、祖先を崇(あが)め、礼儀を正しくします。
一、わたくしたちは、家のため、国のため、世界のために役立つ人になります。
●道場に掲げられた格言の書
剣徳救世:中山博道剣道範士
一剣興国:奥野誠亮文部大臣
大道無門:木村篤太郎初代全日本剣道連盟会長
以和為貴:笹森順造剣道範士・小野派一刀流第16代宗家
敬天愛人:小澤愛次郎剣道範士・初代館長
君父師恩:小澤丘剣道範士九段・二代館長
●「剣聖士道」(小澤愛次郎作)
不求名利一身軽
孤剣只期答聖明
天業将成感無極
益生報国盡忠情
【衆議院で議論され成立したときの議事録】(PDF)
●「剣聖士道」の意味と詠んだ背景
(1)意味(早川忠訳)
剣聖士道(剣道修行者の目指す尊い武士道)
○名利を求めず一身軽し
(私は個人的な表面上のよい評判や名誉、金銭上の利益を求める気持ちは全くない。そのため、自分の体全体が身軽になっている感じがします)
○孤剣ただ聖明に答えん事を期す
(つまらない一介の剣士ですが、万世一系の賢明な天皇陛下から戴いているご恩返しをしたいとひたすら念じているだけです)
○天業将(まさ)に成らんとし感極まりなし
(柔剣道を中等学校:今日の中学校と高校:の正科として学習し、日本古来の武士道精神を全国民が体得するようにすることこそが日本の剣道家でありまた政治家、国会議員としての私に天から与えられた使命であると確信し、世論に訴え、そのための法案を提案委員長として国会に提出し、明治39年、満場一致で国会で成立。今や全国津々浦々の学校で盛んに行われるようになってきています。私にとっては、大変喜ばしく感極まりないです)
○益生報国盡忠の情
(私は、世のため、人のため、国のためそして天皇陛下のために忠義の誠を尽くそうとする気持ちでいっぱいです)
(2)背景
明治38(1898)年初頭、所属していた立憲政友会の総裁西園寺公望公から、旅順陥落直後の日露戦争の戦場の視察を命じられ満州の地に渡った。
そこで小澤愛次郎が感じたことは、乃木希典大将らの戦いぶりを知り、「兵力と火力の絶対的不足を補う、戦って必ずうち勝つという烈々たる闘志と愛国報国の熱情である武士道精神が、全軍に漲(みなぎ)っていたために不可能を可能にし最終的な勝ちを得られたんだ」ということだった。
そして、一小国日本が、強大な列強に伍して、厳しい弱肉強食の国際社会で立派に独自の文化と独立を確保し、共存共栄の八紘一宇の理想社会を実現していくためには、武道で培われたこの武士道精神が全国民にみなぎっているようにならなければならない。そのためには柔道と剣道を、中等学校以上の男子が正科として学習し、体得するようにならねばならないと確信した。
その結果、明治38年の帝国議会に、川越の星野仙蔵代議士や11人の議員とともに剣道と柔道を中学校の正科にしようとする議案を提出したが、5票差で否決。関係者一同協議し、反対派の説得に努め、翌39年3月13日の帝国議会で、この決議案を再提出し、満場一致で可決成立するに至った。当時、小澤愛次郎は42歳だった。
戦後、マッカーサーに剣道の練習を禁止されるなどし、昭和27年の独立回復後に復活したが、中学校の保健体育で武道が正科となるのは安倍内閣になってからである。